戻る

鷹山孝弘様作

「その僧侶、逃亡中につき」
ファンタジーな世界といえば、剣と魔法。
それらが火花散るバトルが描かれる事が多いのは、しょうがないだろう。
だが、今回の物語はちょっと違う。
というより、バトルなんて存在しなかった。
あるのはただ、ひたすらに走り続ける少女の物語。
その僧侶、逃亡中につき。










その僧侶、逃亡中につき










「ん〜?」
目の前にある立て看板に、少女は首を傾げた。
白をベースに青をアクセントにした服装は、パッと見れば
大体の人間が、僧侶であると思えるオーソドックスなもの。
つまりは少女は僧侶であり、冒険者なのだ。
名前をルナといい、現在、大都市ローザンに向かって
旅路を急いでいたのだが、ここにきて足を止めてしまう。
理由は、目の前の立て看板にあった。
看板には、こう書いてある。


『←(かすれて読めない)(汚れて読めない)→』


「これ、看板の意味ないし」
はぅ、と肩を落としてげんなりするルナは、改めて
ぐるりとあたりを見渡した。
だだっ広い草原に、街道が二つに分かれている。
ちなみに片方は森に続いていて、もう片方は
地平線まで見渡せる先行き不透明な道だった。
「ん〜……確か、前に確認した時は……」
ずっと前に目にした地図を思い浮かべるルナは、
一分ほど試案した後、ポンと手をうつ。
「森があった!」
そう、確かに地図によれば、ローザンへの道の途中、
森を抜ける場所があったはずなのである。
道そのものを覚えているわけではないが、目印になるものが
思い出せたのは、彼女にしては上出来といえよう。
「ということは……大都市ローザンへの道は」
ピッ、と左の道を指差すルナ、ちなみにかすれて読めなかった方向だ。
「こっちの道の、森を抜ければいいんだね!」
道さえわかればこっちのもの。
ルナはふふんと機嫌の良い笑顔になると、なんの迷いもなく
左の道をスタスタと歩き出した。
森までの距離はそんなに長くない、すぐに辿り着くだろう。
「そういえば、森を進のなんて久しぶりだな〜♪
美味しそうな木の実とかはえてるといいんだけど」
確かに、野生の木の実でも食べられるものはあるし、
木苺のようなものがあれば本当に嬉しいものだろう。
「うん、ワクワクしてきた……よぉ〜しっ!」
言いながら、スタスタ歩いていた足は、いつの間にか駆け足へと。
「美味しいものいっぱい見つけるぞ〜♪」
こうして、僧侶ルナは駆け足で森へと向かっていくのだった。


そして、森に到着し、歩いて五分もかからない頃だろうか。
「きゃあああぁ〜!?」
その僧侶、逃亡中につき。
「うわぁ〜こっちきた〜! っていうか目の前からもきた〜!」
現在、ルナは後方から追いかけてくるスパイダーから逃げ続けており、
そして気が付いたら前方からマタンゴに待ち構えられてしまった。
ここでルナは急停止すると、一気に90度曲がって別の道を進む。
ただ、道といったが既に街道をはずれており、正しい方向に
進んでいるのかどうか以前に、自分の現在地すら完全に見失っている
状況だったりするのだ。
「ぜぇ、はぁ……うぅ、まだ追いかけてくる」
急いで木の陰に隠れるルナだったが、マタンゴがゆっくりとした動作で
歩きながら近づいてくる。
このままやりすごせれば、とりあえず逃げ切る事は可能だろう。
「そ〜っと……そぉ〜っと」
上手く影に隠れきって、気配をころせば見つからないはず。
そう思い、一歩深く背後に踏み込んでしまったのが悪かった。
ドン
「ん?」
何か硬いものにぶつかった感触に、ルナは後ろを見る。
すると、すぐ近くにもう一本、木がはえており、それに足が
触れてしまったようだった。
「……え?」
今の音でマタンゴに気付かれた?
残念ながら、ルナはその事で声をもらしたのではない。
ぶつかった木の幹、その上部。
明らかに巨大なモンスターの巣があり……そこからギロリと
顔を覗かせるのは、キラービー。
つまりはハチの姿をした、攻撃的なモンスターであり、
ブウウウゥゥゥゥン……
「きゃああぁぁ〜!?」
今度はキラービーとの追いかけっこが始まるのだった。
ちなみにマタンゴだが、飛び出したルナに気付きはしたものの、
キラービーに追いかけられてるのに気付くと、そそくさと
諦めて戻ってしまった。
原因は、キラービーが一匹ではないため。
「こないでってばぁ〜! いやぁ〜!」
数にして、五匹はくだらないといったところか。
サイズ的にもかなり大きめ、ルナより一回り小柄ぐらいなため、
ホラーを通り越してデンジャーだった。
ひたすらに足を動かすルナは、なんとかキラービー達を
まけないかと必死に頭を動かす。
「はぁ、はぁ……えっと、ハチが嫌いなものとかあれば」
所持品を探すが、そんなもの都合良く持ってるはずもない。
とくれば、ルナがするべき行動は一つ。
「もうイヤだぁ〜!」
その僧侶、逃亡中につき。


運が良いというか、脚力だけは冒険者だなと思えるというか。
「ぜぇ、ぜぇ……うぅ、お水ほしい」
なんと、キラービー達を見事振り切り、しかも街道にまで
無事辿り着いてしまったのだ。
この場合は、やはりルナの体力が思ったよりあるとみていいだろう。
だが、セリフでもあったように、そんなルナの体力も
いよいよ限界が近いようで、現在、地面にへたりこみながら
息を整えているところだった。
「お水……水筒……あれ?」
道具袋から水を取り出そうとするが、肝心の水筒が見当たらない。
一生懸命に探すルナだったが、やはりそんなものどこにも無かった。
「あれ? そんな、確かにこっちにお水いっぱいに……もしかして」
落とした。
あれだけ走り回ったのだから、そう考えるのが妥当だろう。
具体的に言うと、キラービーに追いかけられていた時、一回だけ
道具袋を漁った事があったし、あの時ポロッとかもしれない。
「うぅ……ついてないなぁ、あたし」
水が飲めないとなると、更に疲労度が増したようで、もうそのまま
バタリと倒れこむんじゃないかと思うぐらいにとろけるルナ。
傍目に見れば随分と情けない光景だが、本人にとっては重要問題だ。
と、そんなルナを神様が見かねたのか、疲れ切っているルナの耳に、
何やら心地よい音が流れ込んでくる。
「ん? これって……」
サラサラと綺麗な音色。
どことなく癒してくれるような澄んだそれは、間違いなかった。
「水が落ちる音! どこかに水があるんだ!」
その途端、バッと立ち上がると耳をそばだてるルナ。
じっと聞き耳をたてて、その方角を確かめると。
「わぁ〜いお水〜♪」
あっさりと街道からはずれて、水場があるであろう方向へと
走っていくのだった。
先程までゼェハァ言っていたのに、どれだけ走る体力があるのだろうか。


暫く進むと、ルナが思っていたように本当に水場があった。
小さな滝のように水が上から流れ落ちており、また川を形成する
ポイントまでは大きく水がたまっていた。
「やった、お水がちゃんとあった!」
水をいれるものがないので、この場では飲む事しかできない。
だが、今の疲弊しきっているルナでも充分すぎる幸運だろう。
早速水たまりに近づくと、水面を覗きこむ。
とても透き通っており、これなら飲めると判断するに充分だった。
「わぁい♪ いっただきま〜す♪」
と、ルナが水面に両手を突っ込もうとした……まさにその時。
ポチャ
「ん?」
すぐ目の前から、水音が聞こえた。
滝から流れ落ちる音にしては不自然なそれに、くいっと
視線を上げるルナ。
そこには、目があった。
どことなくクリッとした、されど鋭さも感じる不思議なその目は
二つあり、どうやら水中から突き出しているようである。
「あれ? なんだろ?」
魚にしては不自然なような。
なんてルナが思っていた、その時。
ザバァ!
「へ?」
現在の状況を説明しよう。
突然、その目が浮上したかと思うと、上下に大量の牙をもつ
縦長の生物、アリゲーターと呼ばれるモンスターが大口を開いて
ルナに飛び掛かっている。
あとコンマ三秒でもあったら、人間の少女であるルナなど
パクリと一口だろう。
「ギャアァー!?」
バクッ!
間一髪、アリゲーターのかみつきを回避したルナである。
回避したと言ったが、単に後ろにしりもちをついただけなのだが。
地面に半分ほど飛び出したアリゲーターは、それでも諦めきれないのか
のっそりと地上に出てくる。
「あ、あわわわ……なんで水場にもモンスターがいるの〜?」
モンスターは基本、自然界のどこにでも存在します。
と、そんな事を考える余裕など、今のルナには無いようだった。
ボトッ
右の木から落ちてきたのは、スパイダー。
ガサガサ
左の草むらから現れたのは、マタンゴ。
ブウウゥゥゥン……
背後から集団で現れたのは、キラービー。
スウゥゥ……
追加でルナの真上から枝を伝って降りてきたのは、
ヘビの姿をした、スネーク。
「え……?」
以上のモンスターが、アリゲーターと一緒に僧侶ルナを囲んでいた。
ダラダラと冷や汗を流す事三秒、そして立ち上がるまでにコンマ二秒を
必要としたルナは、周囲の状況を確認するよりも早く、真下を風のように
走り抜ければ振り切れると本能が教えてくれた背後へと身体を向けると。
「きゃあああぁぁ〜!」
その僧侶、逃亡中につき。


さて、そんなハチャメチャで可哀想で、どこか笑える森の中での
逃走劇があって、何時間が経過しただろうか。
「うぅ……ううぅ……」
時刻は夜。
モンスターか何かと勘違いしそうな呻き声をあげながら、ヨタヨタと
歩いている少女が一人。
名前をルナといい、現在、ようやく森を抜けた所だった。
どうにか森は抜けられたようだが、もう体力は完全に限界にきている。
今モンスターに襲われたら、間違いなく逃げ切れないだろう。
だが、これも運が良いもので、もうモンスターの姿はどこにもない。
実はモンスターの巣窟である森を抜けたルナは、ようやく安全を
確保できたと言ってもいいだろう。
「あ〜……うぅ〜……」
だが、本人は嬉しそうではないのが本当に矛盾した部分である。
正面に視線を向けると、街らしきものはなく、まだ当分は
歩いていかなければローザンには辿り着けないようだ。
そもそも本当にこっちの道であっていればの話だが、ご安心めされ、
実は本当にローザンへの道はこっちであっている。
「お水……おみず〜……」
フラフラになりながら、道の先ではなく周囲を見渡すルナ。
と、少し街道からはずれた場所に、休息をとっている旅の商人の姿があった。
商人とわかったのは、馬車で移動しているらしき事と、その馬車のまわりに
乗り切らなかった商品をいくつかぶらさげていたからだ。
そして、そんな中にポツンと……回復薬だろうか、液体のアイテムが。
「……」
ルナの足が、自然とそちらへと向く。
頭では何も考えていないのに、本能はその馬車……正確にはアイテム目がけて一直線。
足音も無く、気配も当然ころしてある。
忍者か何かかと思いたくなるぐらいに、完璧な動きのルナだった。
そして、ルナはついに馬車まで到着すると、震える手でそのアイテムをとって。
「お、お金置いておけばセーフ……そう、セーフ」
などと呟きながら、グッと容器を傾けて中の水を飲みにかかった。
だが、直後ルナの目が大きく見開かれると、容器から口を離してしまい。
「けほっ、けほっ!? こ、このツーンってくるの何!?」
水でもなければ、回復薬でもなかった。
未知の刺激物に咳き込むルナは、とにかく落ち着かねばとその場で何回も咳き込む。
そして、少しして落ち着いたのか、へにゃへにゃと座り込んでしまうと。
「うぅ……ダメ、もう動けない」
水じゃなかった容器を持ったまま、大きく溜息をつくのだった。
と、その時である。
「ん……目が覚めてしまった」
馬車の中から、中年の男性の声。
ルナがきょとんとして視線を向けると、商人らしき小太りな男が
目をこすりながら現れた。
「寝酒でも飲んで寝直し……ん?」
「あ」
商人が、ルナに目を止める。
現状を説明しよう。
ルナはその場にへたりこんでいるが、商人が今まさに飲もうかと呟いていた
酒の入った容器を両手でしっかり持っていたりする。
ついでに言うと、商人は半分寝ぼけてもいたのだ。
となれば、こういう結論になるのは必然。
「ど、ドロボー!」
「きゃああぁ〜!?」
馬車VS少女。
限界を超えたスピード勝負が、ここに幕をあけたのだった。
なんてカッコよく言ってみるが、つまるところこの一言につきる。
その僧侶、逃亡中につき。


追記。
商人との逃亡劇については、やはりルナが敗北してしまい、
泣き落としを含む交渉の結果、ルナはいくつかの商品をゆずってもらいました。